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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)595号 判決 1992年8月31日

原告 薮田政和

原告 薮田和之

原告 薮田智美

右二名法定代理人親権者父 薮田政和

原告 近藤まち

右四名訴訟代理人弁護士 斎藤宏

同 彌冨悠子

同 新保克芳

被告 国

右代表者法務大臣 田原隆

右訴訟代理人弁護士 水沼宏

右指定代理人 久保田誠三 外八名

主文

一  被告は、原告薮田政和に対し金三三〇万円、同薮田和之及び同薮田智美に対し各金一六五万円並びに右各金員に対する昭和六一年二月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告薮田政和、同薮田和之及び同薮田智美のその余の請求並びに同近藤まちの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が、原告薮田政和に対しては金一五〇万円の、同薮田和之に対しては金七五万円の、同薮田智美に対しては金七五万円の各担保を供するときは、当該原告の仮執行を免れることができる。

事実

第一請求

被告は、原告薮田政和(以下「原告政和」という。)に対し金二〇五一万六九二四円、同薮田和之(以下「原告和之」という。)及び同薮田智美(以下「原告智美」という。)に対し各金一一四五万八四六二円、同近藤まち(以下「原告まち」という。)に対し金二二〇万円並びに右各金員に対する昭和六一年二月五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告政和は、亡薮田悦子(以下「悦子」という。)の夫、原告和之及び同智美は悦子の子、原告まちは悦子の母である。

(二) 被告は、東京都文京区本郷七丁目三番一号において東京大学医学部付属病院(以下「被告病院」という。)を設置・運営するものであり、同病院に勤務する間中信也「以下「間中医師」という。)、田草川豊(以下「田草川医師」という。)及び永根基雄の各医師(以下、三人を「担当医ら」という。)の使用者である。

2  脳動静脈奇形(以下「AVM」という。)

AVMとは血管の形成・発達過誤のために毛細血管が形成されず、動脈が直接に静脈に短絡する先天性疾患をいう。奇形部に流入する動脈を流入動脈、奇形部から流出する静脈(実際には動脈血が流れる。)を流出静脈という。この疾患は、脳内出血、くも膜下出血、癲癇を起こしたり、脳内盗血(AVMに血液を取られること。)による神経症状、精神症状などを起こす。

3  悦子の死亡に至る経緯

(一) 悦子は、昭和六〇年二月、風邪で四〇度の熱が出て頭痛が続いたが、昭和五四年夏と同五九年三月に風邪をひいた際癲癇の発作を起こしたことがあり、不安に思って念のため松戸クリニックで診療を受けたところ、被告病院での検査を勧められ、同月一五日被告病院脳神経外科で診察を受け、二二日に検査したところAVMと診断され、翌二三日同科に入院した。

(二) 同月二八日午前九時三〇分、担当医らは、悦子に対するAVM摘出手術(以下「第一回手術」という。)を開始したが、手術途中の同日午後一〇時頃AVMから大出血が起きた。右手術は翌三月一日午前八時四五分に終了したが、担当医らはAVMの一部を取り残してしまった。

(三) 担当医らが三月一日午前九時二〇分にCT検査を施行したところ、AVMの摘出腔に出血が認められた。右出血により悦子の容体が悪化したため、同日午後三時三〇分、担当医ら及び浅野孝雄医師は緊急開頭手術(以下「第二回手術」という。)を行い、第一回手術でAVM本体が摘出された腔に充満していた血腫を除去し、第一回手術で取り残したAVMを除去したが、第二回手術の途中から著しい脳腫腸が起こってきた。

(四) 悦子は、第二回手術後も意識が回復せず、同月三日午前八時二〇分、心停止を来たし、同日午前九時〇三分死亡が確認された。

4  悦子の死亡原因

第一回手術時に取り残されたAVMあるいは脳側の剥離断面の小血管から出血して、それが大きな血腫となり、第二回手術でこの血腫とAVMを取り除いたところ、AVM摘出により動脈から静脈への短絡が遮断され、いわゆるブレイクスルー(AVMの切除後、突然脳の潅流が正常化されたとき、慢性的な虚血脳が新たな潅流圧を調節することができず、毛細血管が破綻し、脳浮腫等を引き起こす現象)を起こし、また、血腫の除去により一挙に減圧がはかられ、これらによって著しい脳腫脹を引き起こし、ついには死亡するに至ったものである。

5  担当医らのAVM摘出手術施行における過失

(一) 第一回手術において最初に主要な流入動脈を切断しなかった過失

(1)  AVM摘出手術においては、最初に主要な流入動脈を切断することが最も重要な原則であり、特に悦子のAVMは大型で流量が多く、摘出に際して循環動態の変化が大きいと予測されるものであったから、より一層右原則に従うべきであった。

(2)  主要な流入動脈を温存したままAVMのナイダス(AVMの病巣部分)の剥離操作を行った場合、ナイダスあるいは脳側の剥離断面の小血管からの出血が起こりやすい状態になる。

すなわち、主要な流入動脈を切断することなくナイダスの剥離操作を進めた場合、流出静脈がある程度切断され血液の出口が遮断されると、ナイダスの血管内圧が上昇しナイダスの壁から出血が起こりやすくなる。また、ナイダスの一部を取り残した場合、多くは流出静脈が切断されているため、非常に出血しやすい部分として残ることになる。

次に、脳側の剥離断面の小血管については、流入動脈の本幹を切断せずナイダスを摘出する場合、流入動脈の各々の分枝をナイダスに接して切断することになり、その結果、これら小血管に上昇した圧がかかり、緊満し破裂しやすくなる。また、既に凝固切断され止血されていた部分からも、他の枝が完全に切断されて内圧が上昇すると、再び出血することがある。しかも、これらの小血管はナイダスを剥離した脳の断面に残るわけで、その部分の脳は非常に出血しやすい状態となる。

(3)  本件において主要な流入動脈をまず切断することは可能であった。

仮に被告主張の部分において主要な流入動脈を切断することが不可能であったとしても、ナイダスの最先端に、少し脳表から入ったところに主要な流入動脈があり、そこで切断することが可能であった。

(4)  以上の様に、最初に主要な流入動脈を切断することが本件AVMの摘出手術の際の最も重要な原則であり、それが可能であるのに、担当医らはその原則に従わず、主要な流入動脈を温存したままAVMの摘出手術を進めたため、手術の最中に流入動脈と流出静脈のバランスが崩れ、それによりAVMあるいは脳側の剥離断面の小血管からの大量出血を招き、そのためAVMの剥離操作が難しくなってAVMの一部を取り残してしまった。

(二) 第一回手術の際に低血圧を維持せずに、大量出血を招いた過失

AVMの摘出手術の際には、低血圧麻酔をしておくことが手術を円滑に進めるのに不可欠であり、担当医らも最高血圧を八〇ないし一〇〇mmHgとすることを目標に設定した。しかるに、悦子のAVMから大出血が起こった時刻(二月二八日午後一〇時頃)よりはるかに前(同日午後六時)から低血圧麻酔剤であるアルフォナードの滴下が行われておらず、そのため最高血圧が一〇〇mmHgを上回ることが極めて多くなり、そのことが出血を一段と手に負えないものにしてしまった。

(三) 第一回手術終了の際に止血の確認を十分にしなかった過失

手術終了の際の悦子の血圧は数値的に平常血圧に近かったが、悦子は手術の終了に近い三月一日午前四時以降手術の終了まで再びアルフォナードが滴下されており、悦子の右数値はアルフォナードの効果であるから、それがなくなると血圧がそれ以上に高くなって再出血する可能性があることを担当医らは予想すべきであった。したがって、意識的に血圧を上げるか、あるいは頚静脈を圧迫する等の確実な止血確認方法を行うべきであったにもかかわらず、担当医らはそれを怠った。

(四) 第一回手術においてAVMの取残しを見落とした過失

第一回手術の途中で一部ナイダスの取残しがあったためにAVMの剥離面の修正が行われている。また、手術中内腔壁から動脈性の出血がみられナイダスの取残しが示唆されたのであるから、手術終了の際に他の取残しあるいはドーターナイダスがないかを当然に疑うべきであった。また、担当医らは術前からAVMからの出血跡らしいものが脳の深いところにあることを確認しているが、第一回手術ではその出血跡と思われるところまで手術が進んでいないのであるから、手術終了の段階でまだAVMが存在していることを容易に想像しえたはずである。したがって、担当医らは、第一回手術終了の際に、AVMの摘出腔から見える静脈について確認するだけではなく、術中血管撮影を行ってAVMの取残しの有無を確認すべきであったにもかかわらず、それを怠った。

(五) 第一回手術直後のCT写真で悦子のAVM摘出腔に血腫が形成されていることがわかったにもかかわらず、単に経過観察に止どめ、すぐに再手術しなった過失

脳神経外科では、術後出血が起こった場合は少しでも早く発見し、再開頭、血腫除去を行うべきである。本件において、担当医らは、第一回手術終了後に実施したCT検査において悦子のAVM摘出腔に血腫を認めていた。しかも、その血腫はかなり大きく、悦子は脳ヘルニアの徴候を有しており、その後も悦子の症状に改善がみられなかった。したがって、担当医らは、速やかに再開頭し血腫除去を行うべきであったにもかかわらず、単に経過観察に止どめ、右処置を怠った。仮に経過観察をするとしても、一時間毎にでもCT検査をして出血の状況を確実に把握し、血腫が大きくなる前に右処置をすべきであったのに、担当医らはそれを怠った。

(六) 手術直後のCT検査によりAVMの取残しが疑われたのに漫然放置し、残存AVMからの出血によって悦子を死に至らしめた過失

AVMの摘出手術後に出血があった場合にAVMの取残しを疑うのは脳神経外科医として当然のことである。そして、取り残したAVMからの出血であれば、すぐにも再開頭して血腫除去はもとより出血しているAVMの摘出が必要である。しかるに、担当医らはそれを漫然放置し、残存AVMからの出血によって悦子を死に至らしめた。

6  担当医らの説明義務違反

(一) 医師の説明義務

およそ医師は、生命の危険を伴う手術を実施するに際しては、患者あるいはその家族に対して、病状、手術の内容、手術による症状改善の程度、手術をしない場合の治療法及びその場合の症状の程度、余命年数、手術における生命の危険性につき、あえて危険を伴っても手術を受けるか否かを患者あるいは家族が主体的に選択できるように説明する義務がある。特に、病状が重篤ではなく、時期を争うようなものでない場合には、より一層詳細な説明を行う義務がある。

(二) 本件手術の危険性

悦子のAVMは、摘出後の大きさが、主要塊が六×五×四(各センチメートル)、ドーターナイダスが四×二×一・五(各センチメートル)と大きいものであるが、大きなAVMの場合、流入動脈と流出静脈のちょっとしたバランスの崩れで出血や破裂を起こしやすく、それによって手術が失敗に至る蓋然性が高い。また、悦子のAVMは静脈還流パターンが深部のものであり、かつ、近傍脳の機能としては重要なものに入る。更に、ドーターナイダスがあるために血管が豊富であり、かつ、AVMの主たる流入動脈が非常に太く、したがってAVM内の血液量も高いものであり、境界不鮮明な部分も存在した。したがって、悦子のAVMの場合、手術の難易度は高く、手術の危険性が大きいものであった。

(三) 本件AVMの手術適応性

AVMの場合、出血による致死率や再出血の頻度は脳動静脈瘤に比べて格段に低く、またその機能予後も良好であることから、手術適応の判定は十分慎重でなくてはならない。特に、径三センチメートル以上あるいは径五センチメートル以上のラージAVMは、手術の困難さに比べ保存的治療を行った場合の障害発生の可能性が低いことから、術者の間でその手術適応性についてコンセンサスが得られていない状況である。

(四) 本件手術の緊急性

悦子は昭和五四年と昭和五九年に各一回痙攣発作を起こしたことがあるだけで、その他は何ら異常がなく、早急に手術をする必要はなかった。悦子は手術を待機しても良かったのである。

(五) 以上のように、本件手術は危険性が大きく、一方において、緊急性がなく、また、悦子のAVMのようにラージAVMの場合その手術適応性について未だコンセンサスが得られていない状況であるにもかかわらず、担当医らは、そのなすべき説明義務を怠り、田草川医師は悦子に対し、手術以外の治療法(抗けいれん剤の投与、放射線療法、人口栓塞術等の保存的療法)について全く説明せず、手術の危険性について、「安全な手術だから何も心配はいりませんよ。」という説明を行ったのみであり、間中医師も原告政和らに対し、手術以外の治療法については全く説明せず、手術の必要性、手術をしなかった場合の将来の出血の可能性や障害の程度についても具体的な説明をせず、手術の危険性については、「手術の結果左手や左足に運動神経の麻痺が残るかもしれないが、手術によって死亡する危険性はほとんどなく飛行機事故並みの確率である。」と説明を行ったのみである。そのため悦子あるいは原告政和は、手術の必要性について十分な判断ができず、また、手術による生命の危険性がほとんどないものと判断して手術に同意した。もし担当医らが説明義務を尽くしていれば、本件手術に同意することはなく、ひいては悦子の死亡という事態も生じなかったことが明らかである。

7  被告の責任原因

担当医らは、国家公務員として被告の経営管理する被告病院においてその事業たる治療行為として本件手術を行ったのであるから、担当医らの使用者たる被告は、民法第七一五条に基づき、本件手術により原告らが被った後記損害を賠償する義務がある。

8  損害

(一) 逸失利益

悦子は、本件事故当時満二九歳の健康な女子であり、主婦として家事労働に従事していたものであるが、本件事故により死亡しなければ、同年齢者の平均寿命である五〇・八七年(第一五回生命表)は生存し、そのうち三八年間は就労が可能であったと考えられる。その間の所得としては、昭和五九年賃金センサス第一巻・第一表産業計・企業規模計・学歴計・全年齢の女子平均賃金が年額二一八万七九〇〇円であったから、右金額を基礎に生活費として三割を控除し、ライプニッツ式計算法により年五分の割合の中間利息を控除した右三八年間の逸失利益の現価を算定すると、二五八三万三八四八円となる。

原告政和、同和之及び同智美は、法定相続分に従って、悦子の右逸失利益の損害賠償請求権を相続した。

(二) 慰藉料

原告政和は、昭和五一年七月二六日に悦子と婚姻し、原告和之及び同智美の子供らを得て幸福な家庭生活を営んでいたところ、本件医療過誤によりその家庭生活を根本的に破壊された。原告和之(昭和五二年四月六日生)、同智美(昭和五四年一一月一六日生)は、幼くして母親を失ったものであり、その精神的損害は甚大である。

原告政和の固有の慰藉料は五〇〇万円を下らず、仮に、夫と幼児二人を残すという多大な精神的苦痛の中で死亡した悦子の慰藉料を原告政和が相続するとしても、同人の固有の慰藉料と相続慰藉料の合計額は五〇〇万円を下らない。

原告和之及び同智美の固有の慰藉料は各四〇〇万円を下らず、仮に悦子の慰藉料を原告和之及び同智美が相続するとしても、同人らの固有の慰藉料と相続慰藉料の合計額は各自四〇〇万円を下らない。

原告まちは、悦子の母親であるが、本件事故により寵愛した末娘を失った精神的苦痛は大きく、これを慰藉すべき金額としては二〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

原告政和は、悦子の葬儀費用として八〇万円を支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人に本件の訴訟追行を委任し、その費用として原告政和は一八〇万円、同和之及び同智美は各一〇〇万円、同まちは二〇万円を支払うことを約した。

9  結論

よって、原告らは、被告に対し、民法第七一五条に基づき、原告政和においては二〇五一万六九二四円、同和之及び同智美においては各一一四五万八四六二円、同まちにおいては二二〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年二月五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1(一)の事実は不知、(二)の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3(一)の事実のうち、悦子が昭和五四年夏と昭和五九年三月に癲癇の発作を起こしたことがあること、昭和六〇年二月松戸クリニックで診療を受けたところ、被告病院での検査を勧められ、同月一五日被告病院脳神経外科で診察を受け、二二日に検査したところAVMと診断され、翌二三日同科に入院したことは認める。同(二)ないし(四)の各事実は認める(ただし、CT検査を施行したのは昭和六〇年三月一日午前八時四五分ではなく、同日午前一〇時頃である)。

4  請求原因4の事実は認める。

5(一)  請求原因5(一)の事実のうち、AVM摘出手術において、最初に主要な流入動脈を切断することが最も重要な原則であること、悦子のAVMが大型で流量が多く、摘出に際して循環動態の変化が大きいものであったこと、本件において主要な流入動脈をまず切断することが可能であったことは否認する。

AVM摘出手術において、まず主要な流入動脈を切断することが大切であることは確かであるが、それが最も重要であるとするのは誤りであり、AVMと流入動脈の関係、周辺の構造との関係から、主要な流入動脈を温存することや、流出静脈を先に処理することも少なくない。悦子のAVMの流出静脈のうち最大の静脈は、シルビウス裂(前頭葉と側頭葉の間隙)から静脈瘤のように球状に膨隆し、シルビウス裂の前面に接している蝶形頭頂静脈洞へ注いでいた。したがって、シルビウス裂を開けて、奥にある中大脳動脈本幹及びそれから分岐する流入動脈の本幹を出すためには、この流出静脈を周辺より剥離し、蝶形頭頂洞より切断することが不可避の状況にあった。しかし、この流出静脈は周辺組織と強く癒着しており、担当医らはその剥離に努めたが、容易に剥離せず、その静脈から出血したり、あるいはそれにそそぎ込む静脈から動脈性の出血を生じるなど困難を極めた。そこで、主要な流入動脈を残してもそれに十分見合う太い流出静脈が残っているので安全に手術が進行するものと判断し、この静脈瘤様の流出静脈の剥離をしばらく留保し、主要な流入動脈の切断はAVMの剥離が進み、本体を掘り起こした段階で行うこととした。

(二)  同(二)の事実は否認する。

小さなAVMでは普通正常血圧で手術するし、大きな場合でも正常血圧で手術する場合が少なくないが、担当医らは、低血圧にしておいたほうが術中AVMの剥離の際にAVMからの出血をコントロールしやすいと考え、最高血圧を一〇〇mmHg前後で推移させようとしたものであり、一〇〇mmHgを超えたとしてもわずかに過ぎない。そして、アルフォナードは三月一日午前二時三五分まで滴下されている。AVMから出血が起こったのは前日の午後一〇時頃であり、低血圧麻酔時に起こっているのである。なお、輸血は三月一日午前一時三〇分から開始し、それ以後は正常血圧で推移しているが、その理由は、出血がおびただしいときに低血圧麻酔を維持すると低血圧の原因が血液不足のためか薬剤のためか不明となり、血液が急に不足したときに心停止を招来するからである。

(三)  同(三)の事実のうち、手術終了の際の悦子の血圧の数値が平常血圧に近かったことは認め、その余は否認する。

AVM摘出後の止血確認は同日午前五時から六時三〇分にかけて行った。その際の悦子の最高血圧は本来の最高血圧(一二二mmHg)に近かったが、最高血圧が一一〇mmHg以上であれば敢えて昇圧剤を投与する必要はない。また、静脈性の止血確認方法として、頚静脈を圧迫する方法、麻酔バッグを加圧して胸腔内圧を高め静脈圧を高める方法があるが、麻酔医は後者を行っている。更に、担当医らは、AVM摘出腔に生理的食塩水を満たし血煙が立たないことを確認したうえ、完全を期すためにAVM摘出腔に血液の凝固成分であるフィブリン糊を当てた。

(四)  同(四)の事実のうち、第一回手術の途中で一部ナイダスの取残しがあったためにAVMの剥離面の修正が行われたこと、手術中内腔壁から動脈性の出血がみられナイダスの取残しが示唆されたこと、担当医らが術前からAVMからの出血らしいものが脳の深いところにあることを確認していたことは認め、その余は否認する。

一般にAVMはいかに十分な確認を行っても取残しはあるものである。本件では、担当医らはAVM摘出完了後注意深く顕微鏡下で術野を観察し、術野がすべて脳であったこと、赤い静脈が無かったことから全摘と判断した。脳に埋没した静脈は確認しようがない。

なお、AVMの剥離面の訂正はAVM摘出手術においてしばしば行われ、特に例外的なことではない。また、手術中内腔壁から動脈性の出血がみられナイダスの取残しが示唆されたが、このナイダスは剥離面の訂正により切除しているし、古い出血痕まで手術は進行している。悦子の場合、ナイダスや流入動脈の情報は曖昧ではなく、取残しを示す情報もなかったので、第一回手術終了時点で脳血管撮影を強行する特段の理由はなかった。

(五)  同(五)の事実のうち、担当医らが第一回手術終了後に実施したCT検査において悦子のAVM摘出腔内に血腫を認めたこと、CT検査後速やかに再開頭せず経過観察に止どめたこと、一時間毎にCT検査をしなかったことは認め、その余は否認する。

術後出血は開頭例の大部分に見られるものである。再開頭の適応は血腫の部位、大きさ、臨床症状を総合勘案して決めるべきである。緊急再開頭を決定する最も重要な因子はあくまで血腫による脳への影響の程度であり、AVMの残存の有無ではない。

悦子は、第一回手術後のCT検査の際にはヘルニアはなく、麻酔の影響が取れてくるに従い、対光反射が十分となり、麻酔が改善し、意識が改善していった。悦子の血腫は死腔であるAVMの摘出腔に内在するものであり、しかも空気腔に示される余裕があったことから、新規の出血がなく、この状態で推移すれば快方に向かう可能性は十分に期待でき、何が何でも手術をしなければならないという状況ではなかったので、暫時経過を見ることにした。そして、後刻、再出血によって対光反射が減弱・消失し、ヘルニアの徴候がみられた時点で直ちに再開頭に踏み切っている。

(六)  同(六)の事実は否認する。

AVMの摘出手術後に脳出血を認めた場合は種々の原因を考慮する必要があるのであり、AVMの取残しはその一因にすぎない。そして、通常のAVMの場合、取残しがあっても術後の血管撮影で判明して改めて摘出するから問題がないし、残存AVMからの出血であっても、前述のように脳ヘルニアなど生命の危機がなければ待機的に手術されるのである。

6(一)  請求原因6(一)は認める。ただし、手術における同意権者は、患者本人に判断能力があるかぎり患者本人である。

(二)  同(二)の事実のうち、悦子のAVM摘出手術が失敗に至る蓋然性が高かったこと、悦子のAVMは静脈還流パターンが深部のものであり、かつ、近傍脳の機能としては重要なものに入ることは否認する。

悦子のAVMは表在性であり、近隣脳の機能としては重要なものがなかった。また、流入動脈の中に例外的に太い流入動脈があったわけではなく、境界も不鮮明さは普通であった。したがって、本件手術は原告主張のような難易度が高く、危険性が大きいものではなかった。

(三)  同(三)の事実のうち、AVMの再出血の頻度が脳動静脈瘤に比べて格段に低いこと、ラージAVMが手術の困難さに比べ保存的療法を行った場合の障害発生の可能性が低いことは否認する。

ラージAVMについて保存的療法を行った場合の障害発生の可能性は他のAVMと比べて変わりがない。また、AVMは脳動静脈瘤と比較してより穏やかな病気とはいえなくもないが、それにしても本人の運命を大きく変える深刻な脳疾患であることに変わりがなく、しかも、悦子のAVMは癲癇のみではなく、出血を伴った症例であったから、その予後は癲癇のみの場合に比べ更に不良であることが予想された。したがって、悦子のAVMには手術適応性があった。

(四)  同(四)の事実は否認する。

原告らは手術を待機しても良かったのではないかと主張するが、出血が起こり痴呆・麻痺などが残ってからでは手遅れであるし、AVM摘出手術の目的は出血の予防、盗血現象による脳障害の予防にあるのであるから、診断がついた時点で手術するのが原則である。

(五)  同(五)の事実のうち、悦子及び原告政和が手術に同意したこと、担当医らが悦子及び原告政和らに対し手術以外の治療法について全く説明しなかったことは認め、その余は否認する。

田草川医師は手術の必要性を中心に説明して、患者本人である悦子の承諾を得た。また、悦子は、被告病院に入院したとき既に自己の病気を認識し、手術を受けることを了解していたのである。

なお、間中医師は、原告政和らに対し、AVMの一般論、悦子の病状、手術による利益、手術をしないことによる不利益、手術の危険性について具体的に説明をしたうえで手術の了解を求めたのである。「飛行機・交通事故云々」は死亡の可能性があることを示唆したものであり、確率を言ったものではない。

また、担当医らは、悦子や原告政和らに対し、放射線療法、人口栓塞術等の保存的療法について説明していないが、AVMに関しては保存的療法は放置とほぼ同義であるし、人口栓塞術は芳しくない結果が判明しており、放射線療法も評価が定まった治療法ではない等の理由で説明しなかったのである。

7  同7の事実のうち、担当医らが国家公務員として被告の経営管理する被告病院においてその事業たる治療行為として本件手術を行ったこと、被告が担当医らの使用者であることは認めるが、その余は争う。

8  同8は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  原告政和が悦子の夫、原告和之及び同智美が悦子の子、原告まちが悦子の母であること、被告が被告病院を設置・運営するものであり、同病院に勤務する担当医らの使用者であること及び担当医らが同病院においてその事業たる治療行為として本件手術を行ったことは、当事者間に争いがない。

二  本件の経緯

<書証番号略>、証人間中信也、同田草川豊及び同端和夫(第一、二回)の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  手術に至る経緯

(一)  悦子(昭和三一年二月一五日生)は、昭和六〇年二月風邪を引き四〇度の熱が出て頭痛が続いたが、昭和五四年夏と昭和五九年三月に風邪を引いた際癲癇の発作を起こしたことがあるため、不安に思って松戸クリニックで診察を受けたところ、CT検査(コンピューター脳診断検査)の結果AVMの疑いがあるとして被告病院での受診を勧められた。そこで、同クリニックの紹介により、同月一五日被告病院脳神経外科で診察を受け、担当医師の指示により同月二二日放射線科で脳血管撮影を受けたところ、脳動静脈奇形(AVM)と診断され、翌二三日脳神経外科に入院した。

(二)  脳動静脈奇形(AVM)は、血管の形成・発達過誤のために毛細血管が形成されず、動脈が直接静脈に短絡する先天性疾患をいう。奇形部に流入する動脈を流入動脈、奇形部から流出する静脈を流出静脈という。この疾患は、脳内出血、くも膜下出血、癲癇を起こしたり、脳内盗血(AVMに血液を取られること)による神経症状、精神症状などを起こすものであり、青年期以降に発症することが多い。初期症状は出血、癲癇発作がその大部分を占めるが、その他のものとして、知能障害、出血によらない頭痛、頭蓋内雑音などが挙げられる。

(三)  被告病院脳神経外科では、悦子のAVMが縦、横、高さ各五センチメートルとやや大型に属するものの前頭葉にあり、言語中枢・運動中枢などの重要部分から離れており、表在性のものと判断されたこと、悦子がまだ二九歳で将来が長いこと等を考慮し、検討の結果、悦子のAVMについて摘出手術をした方が良いとの判断に達し、その旨を悦子に説明したところ、悦子は手術に同意し、同月二七日午前一〇時頃には剃髪を済ませた。

また、同科では、悦子の家族の同意を求めるため、同日夕刻原告政和と悦子の兄近藤英博に来院を求め、AVMについての一般説明をした上、手術の目的・内容、手術をしない場合の将来の予測等を説明したところ、同人らも手術に同意した。

2  第一回手術の経過

(一)  悦子の手術は昭和六〇年二月二八日午前九時三〇分頃から開始された。担当医である間中医師、田草川医師らは、本件AVM摘出手術に先立ち血管造影検査によって本件AVMの流入動脈及び流出静脈の状況を把握しており、主要な流入動脈を最初に切断する方針を立てていた。

(二)  ところで、本件AVMには中大脳動脈本幹から分岐してAVMに流入する主要な流入動脈が二本存在し、その内の一本(以下「Ma」という。)はシルビウス裂外側部に出る前にAVMの裏からナイダスに入っており、他の一本(以下「Mb」という。)はシルビウス裂外側部から出た後、脳表からナイダスに入っていたのであるが、実際に開頭したところ、AVMの流出静脈のうち最大の静脈がMbに重なりあい、クモ膜に包まれて強く癒着し、球状に膨隆してシルビウス裂をまたいでいた。中大脳動脈本幹並びにそれから分岐しているMa及びMbの本幹に到達するためには、右流出静脈とMbを剥離し、シルビウス裂を開けることが必要であることから、担当医らはそれを試みたが、右静脈から出血したり、あるいは、それにそそぎ込む静脈から動脈性の出血が生じるなどして困難を極めた。

そこで、主要な流入動脈を初期に切断しなくてもそれに見合う太い流出静脈を残しておけば、手術は安全に遂行できるものと判断し、主要な流入動脈を切断することなく処理しやすい動脈や静脈の処理から始めることに方針を変更して手術を継続した。ただ、主要な流入動脈を切断せずに静脈を切断していくには危険が伴うので、慎重を期し、主要な流出静脈はできるだけ温存するとともに、静脈の切断にあたってはクリップで一時的に遮断して暫く様子を観察し、変化のないことを確認した後に切断を進めた。

(三)  このようにして、担当医らがAVMの摘出手術を進めていたところ、手術の七割ないし八割が終了した午後一〇時頃、流入動脈と流出静脈のバランスが崩れてAVMの前方から突然出血が始まり、それを機にAVMのあちこちから同時多発的に大出血が起こってきた。担当医らは止血操作を行いながら手術を続行した。

(四)  このような出血のため、翌三月一日午前一時半頃から輸血を開始した。なお、手術前には二〇〇〇ミリリットル程度の輸血を予想していたが、大量出血のため、実際には輸血量が八六〇〇ミリリットルに達した。

(五)  午前四時頃からは落合慈之医師も手術に加わり、残された摘出手術を進めていき、最後の段階で残された主要な流入動脈を切断して、午前六時頃AVMのナイダス本体を摘出した。

(六)  その後、間中医師、田草川医師及び落合医師は、注意深く手術野を観察し、AVMの摘出腔が全面的に脳であり赤色静脈がなく、AVMの取残しが見られないことを確認した。また、麻酔医である中沢医師及び阿久根医師(以下、両名を「麻酔医ら」という。)は麻酔バッグを加圧して胸腔内圧を高め静脈圧を高めて止血を確認し、間中医師、田草川医師及び落合医師は、AVM摘出腔に生理的食塩水を満たしてその中に出血してこないことを確認し、更に完全を期すために血液の凝固成分であるフィブリン糊を当てて閉頭した。手術は午前八時四五分に終了した。

(七)  なお本件AVM摘出手術において、担当医らは、低血圧にしておいたほうが術中AVMの剥離の際にAVMからの出血をコントロールしやすいので、悦子の最高血圧を八〇ないし一〇〇mmHgで推移させようと考え、それに従い麻酔医らは術中に低血圧麻酔剤であるアルフォナードを滴下しており、アルフォナードは少なくとも三月一日午前二時過ぎ頃まで滴下された。その間、悦子の最高血圧は、二月二八日午後三時頃までは概ね一〇〇mmHg以下に、それ以降三月一日午前二時三〇分頃までは概ね一〇五mmHg前後に維持され、それ以降はほぼ正常血圧で推移した。

3  第二回手術に至る経緯

(一)  第一回手術が長時間にわたったこともあり、三月一日午前九時二〇分頃CT検査を行ったところ、AVMの摘出腔に血腫が認められた。しかし、担当医らは、この種の手術後には出血がときどき見られるが、その原因や程度は様々であって、多くはよくある後出血でほどなく止血するし、右血腫はAVMの摘出腔に存在し、CT写真上摘出腔内に空気の貯溜が認められて差し当たり脳への影響の心配がなく、その他脳ヘルニア等の徴候もないと判断して、しばらく経過を観察することとした。その後、悦子は、麻酔の影響が取れてくるに従い左眼の対光反射が十分となり(右眼は、著しい眼瞼浮腫のため開かない。)、右上肢の動きが活発になるなど麻痺が改善し、意識の改善もみられた(第一回手術直後の意識レベルは三〇〇、同日午前一〇時一〇分には二〇〇、午後〇時二〇分頃には一〇〇となった。)ので、更に経過観察を続けた。

(二)  ところが、同日午後一時過ぎ頃、悦子の意識レベルが急に悪化し、対光反射も減弱、消失してヘルニアの徴候がみられたことから、担当医らは、再開頭して血腫除去手術をすることとし、急きょ原告政和らを呼び寄せ、悦子の状態と状態改善のためには再開頭しかないことを説明して、同人らの承諾を得た。

4  第二回手術の経過

(一)  三月一日午後三時過ぎ、第二回目の手術が開始された。

再開頭して硬膜を開いてみると、AVMの摘出腔は血液で完全に充満しており、これを除去すると、脳底に接する部分に出血源があり、更に探索して行くと血管の塊が見つかったため、これを摘出した(後に右血管の塊を病理検査したところAVMであった)。

(二)  ところが、血腫を除き、AVMを除去した頃から、著しい脳腫脹が始まった。

担当医らは、比較的影響の少ない側頭葉の一部を取り除いて内減圧をはかり、また、頭蓋骨を大きく切り取って圧が外に逃げるように外減圧をはかるなどの減圧処理をして、午後一〇時二〇分頃閉頭し、手術を終了した。

5  悦子の死亡

第二回手術の後、悦子は昏睡状態にあり、対光反射も消失していたが、担当医らは、薬剤の大量投与による治療を続けた。しかし、三月二日午後九時三〇分過ぎ、悦子は心停止、呼吸停止に陥り、その後蘇生術による心拍動再開、心停止を繰り返したが、翌三日午前九時〇三分死亡するに至った。

三  悦子の死亡原因

悦子が、第一回手術時に取り残されたAVMあるいは脳側の剥離断面の小血管から出血して、それが大きな血腫となり、第二回手術でこの血腫とAVMを取り除いたところ、AVM摘出により動脈から静脈への短絡が遮断され、いわゆるブレイクスルーを起こし、また、血腫の除去により一挙に減圧がはかられ、これらによって著しい脳腫脹を引き起こし、ついには死亡するに至ったことは、当事者間に争いがない。

四  以上の認定事実に基づき、本件AVM摘出手術の施行について、担当医らに原告ら主張の過失があったか否かについて判断する。

1  第一回手術において最初に主要な流入動脈を切断しなかった点について

(一)  第一回手術の後にAVMの摘出腔に血腫ができた原因

証人端和夫の証言(第一、二回)及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、第一回手術の後にAVMの摘出腔に血腫ができた原因は、担当医らが手術の最初の段階で主要な流入動脈を切断しなかったことにあることが認められる。以下詳述する。

(1)  本件AVMは比較的大型で、しかも血液流量が多い病変であり、それに対して流入動脈を切断することなくナイダスの剥離操作が行われている。このような場合、ナイダスあるいは脳側の剥離断面の小血管からの出血が起こりやすい。すなわち、まずナイダスについては、主要な流入動脈を遮断することなくナイダスの剥離操作を進める場合、流出静脈がある程度切断されて血液の出口が遮断されると、ナイダスの血管内圧が上昇しナイダスの壁から出血が起こりやすくなる(なお、ナイダスの一部を取り残した場合、多くは流出静脈が切断されているため、非常に出血しやすい部分として残ることになる)。また、脳側の剥離断面の小血管については、流入動脈の本幹を遮断せずにナイダスを摘出する場合、流入動脈の各々の分枝をナイダスに接して遮断することになり、その結果、これら小血管に上昇した圧がかかり、緊満し破裂しやすくなるし、既に凝固切断され止血されていた部分も、他の枝が完全に遮断されて内圧が上昇すると再び出血することもあり、しかも、これらの小血管はナイダスを剥離した脳の断面に残り、その部分の脳が非常に出血しやすい状態となる。

(2)  ところで、AVMのナイダスの取残しを防ぐためには、ナイダスの摘出操作そのものに細心の注意を払うほかはない。なぜなら、取残しの有無を知るために術中血管撮影という方法があるが、手術室で行う場合には細部にわたって明瞭な写真を撮影することは容易ではなく、また、放射線管理面などの制約もあるため、現実にはほとんど行われておらず、したがって、ナイダスを摘出した後に更に取残しの有無の確認をしようとすれば、肉眼的あるいは手術用顕微鏡による術野観察によって行うことになるが、これらの方法は、ときに赤色静脈の残存が取残しを示す場合があるものの、それ以外には信頼性の高い所見が乏しいからである。本件では、手術中に流入動脈と流出静脈のバランスの崩れによりAVMから大出血が起こり、そのためナイダスの剥離操作が難しくなり、その結果AVMのナイダスを取り残してしまった。落合医師を含む担当医らは、手術終了時においてAVMの取残しがないか確認はしているけれども、その段階でAVMのナイダスの取残しを発見することは実際には容易ではない。

(3)  結局、第一回手術の後にAVMの摘出腔に血腫が生じた原因は、担当医らが手術の最初の段階で主要な流出動脈を切断することなくAVMのナイダスの摘出手術を進めたために、血管に圧がかかり脳側の剥離断面の小血管から出血したか、あるいは、途中で生じた大出血により丁寧なAVM摘出操作が困難となり、AVMの一部を取り残したために生じたものと認められるものの、そのいずれか一方が原因であるのか、あるいは両方が原因となっているのか断定しがたいが、いずれにせよ、手術の当初に主要な流入動脈を切断しなかったために、出血を生じ、血腫を形成したものとみるほかはない。

(二)  担当医らが手術の最初の段階で主要な流入動脈を切断しなかった理由

前記認定のとおり、本件では、担当医らは、手術前の打合せでは、先ず主要な流入動脈を切断する方針を立てていたが、実際に開頭して手術を進めてみると、流入動脈の手前にある流出静脈がクモ膜に包まれて強く癒着し球状に膨隆してシルビウス裂をまたいでおり、クモ膜を切開しシルビウス裂を開けようとしても、右静脈やそれに注ぎ込む静脈から動脈性の出血が起こり難航したため、主要な流入動脈を切断しなくてもそれに見合う流出静脈を残しておけば手術は安全に遂行できるものと判断して、主要な流入動脈を切断することなく、処理しやすい動脈や静脈の処理を先行させることに方針を変更したものである。

(三)  担当医らの過失の有無

そこで、主要な流入動脈の切断を後回しにすることに方針を変更した担当医らの判断に過失がなかったか検討する。

(1)  本件手術時(昭和六〇年)の医療水準

証人端和夫の証言(第一、二回)及び鑑定人端和夫の鑑定の結果を総合すると、鑑定人端が鑑定を行った平成元年頃には、比較的大型で血液流量が多く、摘出により循環動態に大きな変化をきたすAVMに関しては、主要な流入動脈の切断を後に回すことの危険性が一般に認識され、流入動脈を先ず遮断することに全力を投入するべきであることが脳神経外科医に共通に理解されるに至っていたが、本件手術が行われた昭和六〇年頃は、右のような類型のAVMについても、最初に主要な流入動脈を切断することが原則的には行われていたものの、その重要性は必ずしも十分理解されておらず、実際の手術では、流入動脈の切断が困難な場合には、無理をして切断せず、流出静脈をある程度保存しながら剥離を進め、流入動脈の切断を後回しにすることが行われていたことが認められる。

(2)  そうとすれば、流入動脈の手前にある流出静脈がクモ膜に包まれて強く癒着し球状に膨隆してシルビウス裂をまたいでおり、担当医らがクモ膜を切開しシルビウス裂を開けようとしても、右静脈やそれに注ぎ込む静脈から動脈性の出血が起こり難航したため、担当医らが、主要な流入動脈を切断しなくてもそれに見合う流出静脈を残しておけば手術は安全に遂行できるものと判断し、主要な流入動脈の切断を一時留保することに方針を変更したことは、当時の医療水準に鑑みればやむを得ない措置であったというべきであり、しかも、担当医らは、主要な流入動脈を切断せずに流出静脈を切断していくには危険が伴うので、慎重を期し、主要な流出静脈をできるだけ温存するとともに、静脈の切断にあたってはクリップで一時的に遮断して暫く様子を観察し、変化のないことを確認してから切断を進めたのであって、これらの処置をもって担当医らに過失があったとすることはできない。

(3)  なお、<書証番号略>及び証人端和夫の証言(第二回)によれば、ナイダスの最先端で、少し脳表から入ったところ(<書証番号略>のレントゲン写真では、ナイダスの、時計でいえば三時の方向で、やや前に飛び出したところ)に主要な流入動脈があり、そこで切断することが可能であったことが認められる。しかしながら、前述のように、本件手術当時には、まず主要な流入動脈を切断することに全力をあげなければならないという考えは必ずしも一般的に認識されてはいなかったのであるし、右流入動脈は本件AVMに存在する二本の主要な流入動脈のうちの一本であって(前記のようなナイダスとの位置関係からするとMbであると思われる。)、他の一本(Ma)は、シルビウス裂の外側部に出る前にAVMの裏からナイダスに入っていたため、手術の初期の段階では切断不可能であって、主要な流入動脈が依然として残ってしまうことは同じであるから、担当医らが原告ら主張の部分で主要な流入動脈を切断しなかったことが不相当であるとはいえない。

(4)  したがって、担当医らが、手術初期の段階で主要な流入動脈を切断しなかったことに過失があるとはいえない。

2  第一回手術における血圧管理について

(一)  前記認定のとおり、本件AVM摘出手術において、担当医らは、低血圧にしておいたほうが術中AVMの剥離の際にAVMからの出血をコントロールしやすいので、悦子の最高血圧を八〇ないし一〇〇mmHgで推移させようと考え、それに従い麻酔医らは術中に低血圧麻酔剤であるアルフォナードを滴下し、それを少なくとも三月一日午前二時過ぎ頃まで続けており、その間、悦子の最高血圧は、二月二八日午後三時頃までは概ね一〇〇mmHg以下に、それ以降三月一日午前二時三〇分頃までは概ね一〇五mmHg前後に維持されている。

したがって、二月二八日午後三時頃までは概ね当初の予定どおりの最高血圧に抑えられていたことになり、それ以降三月一日午前二時三〇分頃までの間は、当初予定していた最高血圧をほとんど上回ってはいるが、一〇〇mmHgをわずかに上回っていたにすぎず、悦子の平常の最高血圧が一二二mmHgであったこと(<書証番号略>)を考えると、やはり最高血圧を低下させる配慮がなされていたというべきである。そして、<書証番号略>、証人田草川豊及び同端和夫の各証言(第一回)によれば、確かにAVM摘出手術において低血圧麻酔を使用することが有効であるとする見解もあるが、大きなAVMの摘出手術を含め正常血圧下で手術がなされることも少なくないことが認められる。そうとすれば、麻酔医らのした右血圧管理を不適切ということはできない。

(二)  また、前記認定のとおり、三月一日午前二時三〇分頃以降は、悦子の最高血圧はほぼ正常血圧で推移しているが、証人田草川豊の証言によれば、大量出血時に余り低い血圧にすると、低血圧の状態が出血のために起こっているのか、あるいは薬剤のために起こっているのかの判断が困難になり、その判断を誤ると患者にショック状態を惹き起こしかねないことが認められるので、麻酔医らが同日午前二時三〇分頃以降悦子の最高血圧をほぼ正常血圧で推移させたことはやむを得ないことであったというべきである。

(三)  したがって、第一回手術における血圧管理について担当医ら及び麻酔医らに過失があるとはいえない。

3  第一回手術終了時における止血確認について

(一)  前記認定のとおり、AVMの摘出後、麻酔医らは麻酔バッグを加圧して胸腔内圧を高め静脈圧を高めて止血を確認し、間中医師、田草川医師及び落合医師はAVM摘出腔に生理的食塩水を満たしてその中に出血してこないことを確認し、更に完全を期すために血液の凝固成分であるフィブリン糊を当てて閉頭したものの、原告らの主張するような、意識的に血圧を上げる方法、頚静脈を圧迫する方法のいずれも行っていない。

しかしながら、証人間中信也及び同田草川豊の各証言によれば、脳外科においては、手術終了時の最高血圧が一〇〇mmHgであれば敢えて止血確認のため血圧を上昇させる必要はないものと考えられていることが認められるところ、悦子のAVM摘出後の最高血圧は一〇〇mmHg以上に維持されていたので、敢えて昇圧剤を使用するなどして悦子の血圧を上昇させる必要はなかったというべきである。

(二)  そうすると、担当医ら及び麻酔医らが行った前記のような止血確認方法は、AVM摘出後の止血確認方法として十分な処置であったというべきである。

(三)  なお、証人端和夫の証言(第一、二回)及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、第一回手術後のCT検査で確認された血腫は、第一回手術中に生じ、フィブリン糊の下に残った脳内血腫である可能性を否定できないが、フィブリン糊を当てるとその断面は固い糊状になり、術野には血液が流れてこないため、それ以上の止血確認は困難であることが認められる。

(四)  したがって、AVM摘出後の止血確認について担当医らに過失があるとはいえない。

4  第一回手術においてAVMの取残しを見落としたことについて

前記のとおり、AVM摘出手術において手術終了時にAVMのナイダスの取残しを発見することは困難であり、AVMのナイダスの取残しを防ぐためには、ナイダスの摘出操作そのものに細心の注意を払うほかはないのであって、間中・田草川・落合の担当医らが、第一回手術においてAVMのナイダスの取残しを見落としたこと自体について過失があるとはいえない。

5  第一回手術直後のCT検査により血腫の存在を認めていたにもかかわらず速やかに再開頭手術をしなかった点について

(一)  前記認定のとおり、三月一日午前九時二〇分頃CT検査を行ったところ、AVMの摘出腔に血腫が認められたが、担当医らは、この種の手術後にときどき見られる出血の原因や程度は様々で、多くはよくある後出血でほどなく止血するし、右血腫はAVMの摘出腔に存在し、CT写真上摘出腔内に空気の貯溜が認められて差し当たり脳への影響の心配がなく、その他脳ヘルニア等の徴候もないと判断して、しばらく経過を観察することとし、その後、麻酔の影響が取れてくるに従い対光反射が十分となり、右上下肢の動きが活発になるなど麻痺が改善し、意識の改善もみられたので、更に経過観察を続けた。

(二)  そこで、担当医らの右判断の適否を検討する。

<書証番号略>、証人間中信也及び同田草川豊の各証言によれば、開頭手術後再出血が確認されても、再開頭に踏み切るべきかどうかは、患者の一般状態、血腫の部位・大きさ、再出血のみが症状悪化の原因であるかどうか等を総合的に考慮して判断を下さなければならないことが認められるところ、証人端和夫の証言(第一回)及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、本件CT写真に見られるミッドラインシフトや圧迫効果の程度であれば頭蓋内圧をコントロールしながら経過観察することも不相当な措置とはいえないし、その後麻酔の影響が取れてくるに従い対光反射が十分となり、麻痺や意識の改善もみられたことからすると、臨床的常識としてその間に血腫の増大は起こっていないと判断できることが認められるのであるから、前記の再開頭すべきか否かの基準からすれば、その間に再開頭手術をしなかったことをもって過失ということはできない。

(三)  なお、原告らは、仮に経過観察する場合であっても一時間毎にでもCT検査をすべきであった旨主張するが、悦子の容態は少なくとも三月一日午後〇時二〇分頃までは快方に向かっており、その間に血腫の増大は起こっていないと判断できたのであるから、原告らの右主張は採用できない。

(四)  また、原告らはAVM摘出手術後に出血があった場合には当然AVMの取残しを疑うべきであり、すぐにも再開頭して血腫除去をすべきである旨主張するが、<書証番号略>、証人間中信也及び同田草川豊の各証言によれば、AVM摘出手術後の出血の原因はAVMの取残しだけに限られるわけではなく、一旦止血した血管からの出血など他の原因による場合も多いことが認められ、また、そもそも再開頭すべきか否かは前記のように患者の一般状態、血腫の部位・大きさ、再出血のみが症状悪化の原因であるかどうか等を総合的に考慮して判断すべきものであるから、原告の右主張は採用できない。

(五)  結局のところ、前記認定のとおり、担当医らは悦子の意識レベルが急に悪化し、対光反射も減弱、消失してヘルニアの徴候がみられた段階で再開頭して血腫除去手術をしているのであるから、担当医らの処置に不適切な点はなく、過失があるとはいえない。

五  説明義務違反について

1  医師の説明義務

治療行為にあたる医師は、緊急を要し時間的余裕がない等の格別の事情がない限り、患者において当該治療行為を受けるかどうかを判断決定する前提として、患者の現症状とその原因、当該治療行為を採用する理由、治療行為の内容、それによる危険性の程度、それを行った場合の改善の見込み、程度、当該治療行為をしない場合の予後等についてできるだけ具体的に説明すべき義務がある。

2  本件AVMの手術適応性

<書証番号略>によれば、本件AVM摘出手術の当時、AVM、特に本件AVM(最大径が約五センチメートル)のようなラージAVMの手術適応性に関し、AVMはその自然経過の予後が脳動静脈瘤のそれと比較して比較的良好であり、他方、手術的治療では重篤な神経脱落症状を伴うことが予想されるので、手術適応の判定は十分慎重でなければならないとする有力な見解もあり、必ずしも手術適応性に関してコンセンサスが得られていない状況であったことが認められる。

この点について、被告は、ラージAVMの場合、手術の困難さに比べ保存的療法を行った場合の障害発生の可能性が低いわけではない、あるいは、AVMは脳動静脈瘤に比較しより穏やかな病気と言えなくもないが、それにしても本人の運命を大きく変える深刻な脳疾患であることに変わりはない旨主張するが、仮にそうであるとしても、それらはラージAVMの場合に保存的療法を排除して、何が何でも手術的治療を採らなければならない決定的な理由となるものではない。

また、被告は、悦子のAVMは癲癇のみではなく、出血を伴った症例であったから、その予後は癲癇のみの場合に比べ更に不良であることが予想されたと主張する。しかしながら、証人端和夫(第一、二回)及び同間中信也の各証言によれば、本件AVMが出血を伴うものであった可能性を否定できないが、そうと断定することもできないものであることが認められるので、悦子のAVMの手術適応性を肯定する理由とすることはできない。

3  本件手術の危険性

証人端和夫(第一、二回)、同間中信也及び同田草川豊の各証言並びに鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、次の事実が認定できる。

本件AVMは、右前頭葉に位置し運動領域からは距離があり、脳表から楔型に深部に至っているものの、類型としては表在性に属し、その境界も比較的鮮明であるため、摘出は脳表から良好な手術野で行うことができるものと判断された。しかし、他方において、右中大脳動脈から二本の太い流入動脈が入り、中大脳動脈末梢部分の造影が良好ではなく、また、ナイダスの大きさは最大径が約五センチメートルでやや大型に属し、ナイダスに接して静脈瘤様に拡張した太い静脈が存在するなどの所見があり、本件AVMはやや大型で流量の多い病変に属し、摘出に際しての循環動態の変化が大きいと予測されるものであった。したがって、手術を担当する施設あるいは医師のその点に対する技術的配慮が十分でなければ、摘出の難易度の高い病変といえる。そして、<書証番号略>、証人近藤英博の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告病院では、本件手術の時点で過去五年間にAVMの摘出手術で四〇人中二人が死亡していることが認められる。

したがって、本件手術には、高度なものではないにせよ、ある程度の危険性があり、悦子が死亡する可能性も予見できなくはなかったことが認められる。

4  本件AVMについて摘出手術をしなかった場合の危険性

証人端和夫の証言(第一回)及び鑑定人端和夫の鑑定の結果によれば、AVM患者を保存的治療に委ねた場合のその後の経過や手術をした場合の予後について本件当時に公表されていた統計結果は十分でなく、公表されたものもその内容は必ずしも軌を一にしていないが、同鑑定人の鑑定の結果によれば、本件AVMについて摘出手術をしなかった場合、出血により悦子が死亡する危険性は年間およそ一パーセントであること、未破裂のAVMが出血した場合、死亡に至らなくても相当な後遺症を残す確率については十分な資料がないが、生存者のうちの二三パーセントであるとする報告があることが認められる。

ただし、悦子の生命の危険性についての右の数値は、本件AVMが未破裂のものであることを前提としているが、前記のように本件AVMは出血を伴うものであった可能性を否定できないところ、<書証番号略>、証人間中信也の証言及び弁論の全趣旨によれば、出血を伴う症例は癲癇を初発症状とする症例よりも予後が不良であることが認められる。

5  本件手術の緊急性

<書証番号略>、証人間中信也及び同近藤英博の各証言によれば、悦子は過去に数回癲癇発作を起こしたことがあったが、本件手術時には何らの神経脱落症状もなく、差し迫った危険がなかったことが認められる。

なお、被告は、出血が起こり痴呆・麻痺などが残ってからでは手遅れであるし、AVMの摘出手術は出血の予防、盗血現象による脳障害の予防にあるのであるから、診断がついた時点で手術するのが原則である旨主張するが、仮にそうであったとしても、本件では患者に治療方法等を説明してその同意を得る時間的余裕がなかったわけではないから、右の点は、患者に対する説明義務を軽減させる事情にはならない。

6  担当医らがした説明の内容

以上の2ないし5の状況の下において、担当医らがした説明の内容について検討する。

(一)  原告政和らに対する説明

<書証番号略>、証人間中信也、同田草川豊及び同近藤英博の各証言、原告政和本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

原告政和及び悦子の実兄の近藤英博(以下「英博」という。)は、本件手術の前日である昭和六〇年二月二七日、悦子からの連絡で被告病院に駆けつけ、間中医師から説明を受けた。その際、間中医師は原告政和らに対し、AVMについての一般的説明や、本件AVMは右前頭葉にあり運動領域からは距離があるので取りやすいこと、手術によって将来の出血が予防でき、癲癇が難治になることを防ぎ、盗血の予防が期待できることの説明をした。しかし、手術を受けない場合の危険性については、手術をしなければ明日出血するかもしれないし、一生しないかもしれないが、三〇歳を越えると出血の確率は高くなり、出血すれば死ぬ危険性も大きくなるし、後遺症も重くなるなどとの一般的な説明をしたに止どまり、手術をしなかった場合の出血のリスク、生命に対する危険性について資料に基づく具体的な説明はしなかった。また、手術の危険性については、前記のとおり、被告病院の過去の手術実績でも五年間に四〇件中二件の死亡例があったにもかかわらず、手足の運動神経麻痺の後遺症くらいは出るかもしれないという程度の説明しか行わず、手術に伴う生命への危険性について説明がなかったので、悦子が死亡するかも知れないことを心配した英博が死亡の確率を間中医師に尋ねたところ、同医師は、飛行機事故並みの確率である旨述べた。

証人間中信也は、原告政和らに対し飛行機事故の話をしたことについて、「飛行機に乗れば落ちる、外を歩けば交通事故に遭う、それと同じように手術にはそれ相応の危険がある。」という趣旨で話したものである旨証言する。しかしながら、飛行機事故の確率は極めて低いことの例えとして通常使用されるものであることを考えると、生命に対する危険性があるという趣旨で飛行機事故の例を持ち出したというのはあまりに不自然である。また、証人近藤英博の証言によれば、同人は、被告病院に手術についての説明を聞きに行く前に、知り合いの医師に相談したところ、同医師から被告病院では手術を受けないほうがよい旨のアドバイスを受けたことが認められるので、仮に間中医師が右のような趣旨で説明したとすれば、英博は更にその危険性について追及し、詳しい説明を求めたはずであるが、証人間中信也は、手術の危険性について具体的数字をあげていないし、手術をしない場合の危険性と対比して説明したこともないと証言しているのである。したがって、証人間中信也の前記証言は信用できない。

以上のように、間中医師は、原告政和らに対し、AVMについての一般的説明、悦子に対して手術をする理由、手術を行った場合の改善の見込みについては一般的な説明をしているものの、家族が最も知りたいと思っていた手術の危険性及び手術をしない場合に将来発現が懸念される症状について、単に抽象的に述べたに止どまり、具体的な説明もせず、また、それらの危険性を対比して説明するということも十分行わなかったものと認めざるを得ない。しかも、本件手術は、被告病院の実績でも過去五年間に四〇件中二件の死亡例があり、安全な手術と断定できるほどのものでもないのに、家族を安心させたいとの配慮があったとしても、手術の危険性について飛行機事故の例を持ち出すなど、危険性がほとんどないに等しいと受け取られかねない表現を用いて説明しており、適切な説明を尽くしたとは認めがたい。

(二)  悦子に対する説明

<書証番号略>、証人間中信也及び同近藤英博の各証言並びに原告政和本人尋問の結果によれば、悦子は、本件手術の直前まで悲壮感も動揺もなく平然としており、原告政和らが本件手術の前日に悦子に会った際にも、担当医から「安全な手術だから何も心配はいりませんよ。」と説明を受けた旨述べたことが認められる。

間中医師が悦子の家族である原告政和らに対してした説明内容や右の手術前の悦子の様子を総合すれば、担当医らは、悦子に対し、手術の危険性について、生命への危険性はないか、あるいは、ほとんどないに等しいという程度のことしか説明しておらず、手術の危険性と手術をしない場合の危険性を対比して具体的に説明するということもしていないものと推認される。

なお、証人田草川豊は、同人が悦子に対し、手術しない場合に将来起こりうる症状やその危険性、手術が最も確実で唯一の治療方法であること、手術の結果死亡するかもしれないことを説明した旨証言する。しかしながら、右証言は証人間中信也の「本人(悦子)には、二〇パーセント麻痺が来るとか、一〇パーセントは意識がなくなるなどとは言えない。」との証言と矛盾しているし、間中医師の原告政和らに対する説明や本件手術前の悦子の様子が前記認定のとおりであったことに照らすと、証人田草川豊の右証言は信用できない。

また、被告は、悦子は被告病院に入院した時既に自己の病気を認識し、手術を受けることを了解していたと主張するが、患者がその症状、治療行為の内容及び危険性、当該治療行為をしない場合の具体的予後等について十分な説明を受けずに承諾したところで、その承諾は当該治療行為についての真に有効な承諾とはいえず、医師はその説明義務を免れるわけではないから、被告の右主張は失当である。

7  以上のとおり、担当医らは、本件手術に関して説明義務を負う相手方である悦子に対し、手術の危険性や保存的治療に委ねた場合の予後について十分な説明を尽くさず、その双方の危険性を対比して具体的に説明することもしなかったのであって、このため、悦子は本件手術を受けるかどうかを判断するために十分な情報を与えられなかったといわざるを得ない。

六  説明義務違反と損害との因果関係

前記認定のとおり、原告政和らは、手術による生命の危険性について強い関心を抱いており、また、事前に相談した医師からは被告病院において手術を受けることについては消極的な助言を得ていたこと、悦子には幼い子供が二人あり、緊急に手術を要するほどの自覚症状は当時は発現していなかったこと等を考え併せると、担当医らが手術の危険性等について十分な説明をしていたならば悦子が手術を承諾しなかった可能性を全く否定することはできない。

しかしながら、手術を受けず保存的治療に委ねた場合の予後については、前述のとおり、出血して死亡する危険性は年間およそ一パーセントの確率であり、しかも悦子の余命は長く、死亡に至らずとも相当な後遺症を残す危険性もかなりの確率で存在した(右可能性は本件AVMが未破裂のものであることを前提としているが、前述のように、本件AVMが出血を伴うものであった可能性を否定できず、その場合は更に危険性が高くなる)。しかも、<書証番号略>によれば、悦子は入院当初から手術をすることを覚悟していた形跡がある(前述のように、本件手術についての真に有効な承諾とはいえないが)。また、本件は、実際に開頭して手術を進めてみると予想外に癒着が強く、手術が困難を極め、結果的には不幸な帰結に至ったものの、被告病院の設備とスタッフを考えれば、手術前にはそれほど高度な危険性を伴う手術とみることはできなかった。これらの事実を併せ考えると、悦子が担当医らから十分な説明を受け、手術にある程度の危険を伴うことを具体的に知らされたとしても、手術を承諾した可能性を否定することもできない。

そうすると、担当医らが悦子に対して十分な説明をしておれば悦子が本件手術を承諾しなかったかどうかは必ずしも明らかではなく、担当医らが必要な説明義務を尽くさなかったことと悦子が死亡したこととの間には相当因果関係があるとはいえない。

七  損害について

1(一)  悦子の慰藉料

前記認定のとおり、本件手術にはある程度の危険性があり、これによって悦子が死亡するに至る事態も予想できなくはなかったのであるから、悦子は、本件AVMの摘出手術を受けるかあるいは手術を受けずに保存的治療により経過を見るか、いずれかを選択する余地を有していたにもかかわらず、担当医らが必要な説明を尽くさなかったために右の機会を奪われたものというべきであり、その精神的苦痛を慰藉するには六〇〇万円をもって相当と認める。

(二)  原告政和、同和之及び同智美の相続

原告政和は悦子の夫、同和之及び同智美は悦子の子であり、悦子の慰藉料請求権をそれぞれの法定相続分(原告政和は二分の一、同和之及び同智美は各四分の一)に従って相続した。

2  弁護士費用

一件記録からして原告政和、同和之及び同智美が本訴の追行を原告ら訴訟代理人に委任したことが認められ、本件事案の内容、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮すると、担当医らの説明義務違反と相当因果関係のある損害として被告に賠償を請求することができる弁護士費用の額は、原告政和につき三〇万円、原告和之及び同智美につき各一五万円と認めるのが相当である。

3  原告まちは、悦子の母として、悦子の死亡によって被った精神的苦痛に対する慰藉料の支払いを求めているにとどまるところ、右請求が理由のないことは叙上説示のとおりである。

八  以上の次第で、原告らの請求は、原告政和につき三三〇万円、同和之及び同智美につき各一六五万円並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年二月五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度

で理由がある。

(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官 浜秀樹 裁判官 伊藤繁)

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